ピアノの買取り比較・無料処分ならお得な一括査定ふくろうピアノ

現代のモーツァルトの曲は本物か偽物か

現代の8オクターブ(88鍵)のピアノは1790年から1860年にかけて普及したものです。それ以前に主に使用されていたピアノ様の楽器はクラヴィコードやチェンバロです。つまり現代のピアノが普及する以前の曲はピアノではない音で演奏されていたことになります。
世界中で人気のモーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年-1791年)や、ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年-1827年 日本では楽聖とも呼ばれる)が作曲していた時に使った、あるいはその当時に演奏されていた曲は現代のものとは違った音で行われていたことになります。
ベートーヴェンやモーツァルト、ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732年-1809年 交響曲の父・弦楽四重奏曲の父と呼ばれている)、彼らはウィーン古典派三大巨匠(古典派三大巨匠ハイドン、ベートーヴェン、モーツァルト)とされていますが、現代の人が知る音楽とは印象が違ったものだったのかもしれません。

ウィーンのモーツァルト像

正しい音楽、偽りの音楽とは何か

違う楽器で演奏するとどのようになるのかというと、クラシック音楽をギターで弾くものや、初音ミクなどのDTMがあります。そのようなものを想像するとわかりやすいのではないでしょうか。テンポやリズム楽器などアレンジの仕方で雰囲気の違ったものになります。
聴く人によってピアノだけのものが好きな人、電子楽器やMIDI音源が好きな人など様々です。18世紀から19世紀にかけて披露されていた楽曲を聴いても全く感動しないといったこともあるかもしれません。
流行り廃りといった大勢の感覚の移り変わり、また、好き嫌いといった個人の感覚の変化はありますが、正しいか間違いかといった物差しで音楽をはかるのはナンセンスです。好きな音楽こそが、自分にとって真実ではないでしょうか。

 

モーツァルトの年譜
1756年 (0歳) 1月27日、ザルツブルクに生まれる。
1761年 (5歳) 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。
1762年 (6歳) 10月マリア・テレジア御前演奏。
1763年 – 1766年 (7 – 10歳) パリ・ロンドン旅行。
1767年 – 1769年 (11 – 13歳) 第2回ウィーン旅行。オペラ『みてくれの馬鹿娘』K.51上演。
1769年 – 1771年 (13 – 15歳) 第1回イタリア旅行。
1770年 (14歳) 黄金拍車勲章授与。12月26日 オペラ『ポントの王ミトリダーテ』K.87初演。
1771年 (15歳) 第2回イタリア旅行。セレナード『アルバのアスカニオ』K.111ミラノ上演。
1772年 – 1773年 (16 – 17歳) 第3回イタリア旅行。ミラノでオペラ『ルーチョ・シッラ』K.135上演。
1773年 (17歳) 第3回ウィーン旅行。
1774年 – 1775年 (18 – 19歳) 第4回ウィーン旅行。オペラ『偽の女庭師』K.196上演。
1777年 (21歳) ザルツブルクでの職を辞しミュンヘン、マンハイムへ移る。
1778年 (22歳) パリへ移り。7月、同行した母はパリで死去する。
1779年 (23歳) ザルツブルクに帰郷。ザルツブルク宮廷にオルガニストとして復帰。
1780年 (24歳) オペラ『イドメネオ』K.366準備のためにミュンヘンに赴く。マリア・テレジア崩御。
1781年 (25歳) ザルツブルク大司教コロレドと衝突、解雇。ウィーン定住を決意。
1782年 (26歳)
7月、オペラ『後宮からの誘拐』K.384をウィーンで初演。
8月3日、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。
1783年 (27歳)
ザルツブルクに帰郷。大ミサ曲ハ短調 K.427を上演。
6月、長男誕生するもザルツブルク旅行中に死亡。
1784年 (28歳)
第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。
フリーメイソンリーの慈善ロッジ(ウィーン)に入会(書類上では12月5日)。
1785年 (29歳) 弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈(「ハイドン・セット」)。
1786年 (30歳) オペラ『フィガロの結婚』K.492初演。
1787年 (31歳) 父・レオポルト死去。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』K.527初演。
1788年 (32歳) いわゆる「3大交響曲」を作曲。
1789年 (33歳) ベルリン旅行。
1790年 (34歳) オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』K.588初演。
1791年 (35歳) オペラ『皇帝ティートの慈悲』K.621、オペラ『魔笛』K.620初演。12月5日ウィーンにて死去。